「なんだか歩きにくい」「コップをよく落とすようになった」「字がうまく書けない」などと最近感じることはありませんか。こうした些細な変化を年齢のせいだと思い込んでいませんか?
実は、私たちが毎日当たり前のように行っている「歩く」「物を持つ」「字を書く」といった動作は、脳の精密で複雑なチームワークによって成り立っています。つまり、これらの変化は、脳の身体操作システムからの大切なサインかもしれません。
今回は、私たちの身体を動かす脳の興味深いメカニズムと、ちょっとした不調に気づいたときに試してみたい工夫をわかりやすくご紹介します。
私たちは身体をどうやって動かしているの?身体操作の仕組み
コーヒーカップを手に取り、口元に運んで飲むというシンプルに見える動作も、脳の中では複数の部位が瞬時に情報をやり取りしながら実現されています。
まず、脳の前頭葉にある運動野がコップを持とうという指令を作り出します。この指令は、脳幹や脊髄を通じて各筋肉に伝達され、手足の動きを生み出します。
特に重要な役割を果たすのが、脳の深部にある大脳基底核です。ここは動作の門番のような存在で、必要な動きを選択し、不要な動きを抑制する働きを担っています1。
また、小脳が私たちの動作タイミングや加える力を制御する調整役として、動作をなめらかにする際に活躍しています2。
そして、脳にはもう1つ重要な機能があります。それが身体図式と呼ばれるものです3。これは、脳の頭頂葉という部分で、目から入る情報と身体の感覚情報を組み合わせて作り出される身体の内部マップのような機能です3。
頭頂葉には、見たものと触った感覚の両方に同時に反応する特別な神経細胞があり4、これが私たちの身体感覚を正確に保つ重要な働きをしています。このおかげで、目をつぶっていても手足の位置がわかったり、鏡に映る自身の腕と実際の動きを一致させることができます。
健康な脳では、視覚・聴覚・触覚などの情報が適切に統合され、この身体図式に反映されることで、自身の身体を思い通りに動かすことが可能になっています。
身体操作に問題があるときに生じやすい日常の困りごと
身体操作の機能に変化が生じると、日常生活の中でさまざまな困りごとが現れることがあります。それぞれの特徴を理解しておきましょう。
対象物との距離を正確に把握できない
近くの物が実際より遠くにあるように感じたり、逆に遠くの物を近いと勘違いしたりすることがあります5。その結果、階段の高さや床の段差を見誤って踏み外しそうになったり、浴槽をまたぐ足の位置感覚がつかめず不安定になることがあります。
また、テーブルの上に置いたメガネが見えず、「誰かが持って行った」と探し回ったり、身近な人の顔を判別しづらくなることもあります。目の前にあるのにそれと認識できない、という現象も起こりえます。
モノや空間の奥行きの存在を認識できない
視空間認知に変化が生じると、日常生活の中でちょっとした混乱が起こることがあります。例えば、床に敷いた濃い色のマットを穴だと感じて歩くのをためらったり、ガラス窓に映った自身の姿を「誰かいる」と驚いたりすることがあります。また、鏡に映る自身の姿がわからなくなり、知らない人が家にいると感じる場合もあります。
柄の細かい絨毯や壁紙は地面の凹凸や虫の模様に見えることがあり、これも混乱や不安の原因になることがあります。
自身の身体の位置や動きを適切に認識できない・動かせない
認知機能の低下が進むと、複数の動作が苦手になります。料理の最中に手順が分からなくなって止まってしまう、電話で話しながらメモが取れない、といった状況が生じることがあります。
また身の回りの動作でも変化が現れます。着替えではボタンを掛け違えたり裏表に着てしまったり、食事ではスプーンをうまく口に運べなくなったりすることがあります。これらはご本人にとって大きなストレスになるだけでなく、ご家族にとっても心配の種となります。
ただし、これらの症状には個人差があり、症状が穏やかな方は日常生活にほとんど支障がない場合もあります。重要なのは、どのような変化があり得るかを知っておき、早めに対応策を講じることです。
身体操作がうまくいかないときのひと工夫
身体操作に関する困りごとが生じても、生活環境や習慣を工夫することで負担を軽減できる場合があります。以下に具体的な対策の例をご紹介します。
形がわかりやすくサラサラした素材の服を選ぶ
衣服選びにひと工夫加えることで、着替えの負担を大幅に軽減できます。前後がわかりやすいデザインのものや、ボタンや紐よりもマジックテープやゴムを活用したものを選ぶと良いでしょう。
また、素材も同様に大事です。サラサラとした触感で着心地の良い素材を選ぶことで、日常の動作がより快適になります。さらに、シンプルで明確な色合いの服を選ぶことで、視覚的にも認識しやすくなります。
箸やスプーンなどの補助具を取り入れる
食事の際の困りごとには、適切な補助具の活用がおすすめです。食器は料理とコントラストのある色(白いご飯には濃色の茶碗など)を選んで認識しやすくし、握りやすい太めの柄のスプーンや箸を使用することで、手の動きをサポートできます。
また、すべりにくい材質のお皿やコップを選んだり、縁のあるお皿を使って食べ物がこぼれにくくするなど、小さな工夫の積み重ねが大きな改善につながります。
スマホの音声入力を活用する
デジタル技術を活用した便利なツールも多数あります。文字を書くことが難しくなった場合は、スマートフォンやタブレットの音声入力機能を活用することで、メモやメッセージの作成が可能になります。
スケジュールや服薬時間をアラームで知らせるリマインダーアプリ、操作が簡単な家電リモコンアプリ、音声で話しかけると天気やニュースを教えてくれるAIスピーカーなど、さまざまなツールが利用できます。
まとめ
私たちの日常的な身体操作は、脳の複雑で精密なネットワークによって支えられています。年齢とともにこのシステムに少しずつ変化が生じることがありますが、適切な知識と工夫によって、その影響を最小限に抑えることができます。
今回ご紹介したちょっとした工夫は、どれも今すぐ始められるものです。たとえば、お気に入りの服を選ぶときに着やすさを基準に加えてみたり、スマホの音声入力を使って日記を書いてみたりできます。小さな工夫が、毎日の暮らしをより快適にしてくれるでしょう。
何より大切なのは、変化を老化のサインとして受け止めるのではなく、新しいライフスタイルを楽しむきっかけとして捉えることです。丁寧に選んだ道具や環境の工夫は、きっとあなたの毎日をより豊かなものにしてくれるでしょう。身体の変化と上手に付き合いながら、あなたらしい生活を続けていきませんか。